当流の特徴について


(埴原代表師範甲冑図)

 

 

【当流の歴史】

 

 当家は、戦国時代に活躍した埴原加賀守常安の流れを汲む家系として、武士の習いとしての武術を、一族において研鑽してまいりました。

 

 開かれた流儀として起こす事無く、一家伝の武術に過ぎなかった当流ですが、現代においても、その有用性や、学びとしての重要性は変わらないものと信じております。

 

 そんな当流を、万人が系統だって学べる形に再編し、さらに、現代においてより有用な学びとなる様に改良した武術が「甲州流柔術」です。

 

 家伝の武術故、特定の名称を持たずに継承されてきましたが、祖父の代より、甲州流柔術という名称を用いております。

 

 古くは戦国、合戦の時代より、より良い働きを成すための術(すべ)として武術は確かに存在していました。

 

 当流が、武道ではなく、敢えて古武術と称するには訳があります。

 

 押し付けの指導ではなく、心身の正しい鍛錬と、本来の武術が持つ現実的で理に適った思考を通して、優れた人物に自発的に到達して頂きたいという願いからです。

 

 それが本当の意味での体得であり、成長であると信じるからです。

 

 それらの人としての成長、進化を促すものが、古より脈々と受け継がれてきた、技や、思想に他なりません。

 

 それらへの感謝の念を込めて、当流は古武術と称しております。

 

 士農工商、四民平等になって久しい現代。

 武術は武士、男性、特別な人間のものではありません。

 日々を強く、そして健やかに生きたいと願う全ての方のものです。

 

 当流の稽古を通して、誠に強い心身を獲得し、技を身に付け、世界に誇れる日本人として共に成長していきましょう。

 

 当流は、物事に捕われず、真を見極める思考と技術を何より重視しています。

 実戦は千差万別、技に固執せず、技の根本にある理論を突き詰める事で、様々なものに打ち克つ強い心身の獲得を目指します。

 

 現在においても、古武術特有の身体操作や思想を学ぶ事が出来ます。一人でも多くの方が、当流を正しく理解し、役立てていただければ無上の喜びです。

 

 老若男女を問わず、無理なく学べる指導を心がけております。まずは一度、ぜひお気軽にお越しください。

●戦国の神道系流派として

 

 

 当流は、戦国時代の合戦の技術を伝えます。武芸十八般を学びます。体術、剣術、槍術、甲冑、暗器など。

 

 また当時は仏教か神道から哲学の着想を得る場合が多く、当流は神道の教えを持ちます。

 

 

 当流は、一芸に秀でる武術家の育成ではなく、リーダーにふさわしい、技能、人格、哲学を持ち合わせた【武将】の育成を志す流派なのです。

 

(道幸師範代 伊勢神宮下宮勾玉池奉納神楽舞の図)

 

【神道系の流派とは】

 

 日本の古い武術は、大体が仏教か神道のどちらかを元にして、その精神哲学にアプローチしています。当流は、神道を重視した哲学を持つ「神道系流派」です。

【技術について】

 

 当流の技は、万人にとって有益な護身術でもあります。

 

 力のみに頼らない技や、真に実践を想定した技術で成り立っているため、女性や高齢者の護身術としても大変おすすめです。

 

・甲冑武者や合戦場の流儀に基づいた実践的技術

・女性や高齢者の護身術としても最適な技術

・実践的稽古方法の採用と安全への配慮

・古武術特有の身体操作を獲得

 

 

【当流を学ぶ意義】

 

 古武術は、その技術や実力を同門の者と競うものではなく、大事にあたって事を成す力を得るための学びです。つまり、人生の大一番で、自分が求められている役割を果たすために、その心身の鍛錬はあるのです。

 

 無理のない鍛錬や、自己の研鑽を通して得られる人間的成長は、人生を自由闊達に生きる為に重要な力です。それを体得出来るのが、当流の魅力です。

 

・他者と比べる事無く、実直な鍛錬と自己研鑽

・心身を整え、健全な状態へ導く

・有事の際に、自分や大切な人を守れる護身の技として

・戦国武士道を学ぶ事で、人生を自由闊達に生きる哲学を

【古武術とは】

 

 古武術の厳密な定義は曖昧ですが、一般的には、室町時代以降に成立した武芸を指すと解釈することが出来ます。

 これに対して、明治時代以降は、「武道」と定義されていきました。

 

 当流は古武道ではなく、「古武術」と称しております。

 

まずは当流における定義をご説明します。

 

 ~古武術とは~

 格闘技や武道とは異なり、その起源を日本に持つ武術です。

 特に当流は、合戦に際して最適な働きをするための技術として、武器はもちろん無手(素手)での格闘術から、その心構えまでを学ぶ事が出来ます。

  

 また、当流では古武道ではなく敢えて「古武術」と称するには訳があります。

 空手道、剣道、茶道、華道等、日本には道と付く習い事が数多くあります。これらは、その技術にだけに目を向けることなく、精神性の向上や、他者との和を尊ぶ思想のもとに修練を行います。人によってはそれを礼儀作法と呼びます。

 

 そのため指導者は、その目的に応じた指導を行います。つまり道を説く事になります。

 

 一方の古武術は「術(すべ)」です。まず技術が先にあります。実践的な技術の習得を第一目的に据えております。

 

 その上で、道を説くのではなく、鍛錬を通して、風格や高い精神性を自得していただく事を目指します。

 

 ここに武道と武術の大きな違いがあります。これは良し悪しではなく、目的の違いと言えます。

【現代における古武術】

 

 古武術は読んで字のごとく古い武道という意味です。本来であれば、「古い」という言葉にはあまり良いイメージはありません。そんな中、なぜ古武術魅力を見出すのか。

 

 情報過多な現代において、斬新なもの、目新しいものはなかなか作り出すことが難しいものです。医療やネットワークなどの技術革新は起きていますが、人の内面に根ざす学問においては、頭打の様相さえ感じます。

 

 温故知新とはよく言ったもので、古きを見つめ直し、現代でも通用する普遍的な考え方を発見する事が出来ます。明確に目に見えるものではありませんが、現代における大きなアドバンテージになります。人とは違った、優れて思考や行動を自然と取ることが出来ます。

 

 古武術は、閉塞的な現代において、ある意味自由な思考を獲得する一助となります。「常識」は国や時代によって大きく異なります。「正解」は人や状況によっても大きく異なります。現代はそれらも更に多様化し、身動きが取れなくなってます。

 

 自由闊達に生きる。そんな強さを得られることも、古武術の利点と信じております。


甲州流柔術とは「目次」

 ●指導者と組織

 ●門人の声