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日本の伝統調味料、味噌と醤油

 

 毎日の食卓に欠かせない味噌と醤油は、現代においても親しまれる日本の伝統的な調味料です。

 

 その歴史は古く、種類や製法は様々、地域によって好まれる味も異なります。独特で深い風味をもつ、伝統調味料の魅力をのぞいてみましょう。

 

 保存が効き、様々な調理に活用する事が出来ます。田楽の様に焼き物に、みそ汁の様に煮炊きに、また当然そのままでも美味しくいただく事が出来ます。

 

 味噌の魅力は保存性の高さだけではありません。健康維持に必要な様々な栄養素が含まれている点も大きな魅力です。

 

 

●種類

 味噌は原料によって、米味噌、麦味噌、豆味噌に分類されます。また、味によっても甘口味噌、辛口味噌、色によっても赤味噌、白味噌など多様です。

 

 最も広く作られているのが米味噌で、国内の生産量の8割を占めています。麦味噌は九州や四国地方で、豆味噌は中部地方で主に作られています。

 

 

 醤油は大きく分けて、濃口醤油、淡口醤油、溜醤油、再仕込醤油、白醤油の5種類があります。最も一般的なものは濃口醤油ですが、九州や四国地方では淡口の甘い醤油、中部地方では溜醤油、白醤油が好まれるなど、地域色豊かです。

 

●製法

代表的な米味噌と濃口醤油の作り方を見てみましょう。

 

<米味噌>

 蒸した大豆に米麹と塩をよく混ぜて仕込みます。これを数か月間発酵・熟成させて味噌を作ります。

 

<濃口醤油>

 蒸した大豆と炒った小麦に種麹を加えて麹を作ります。これに塩水を加えて諸味を作り、6〜8か月間発酵・熟成させます。これを搾ったものが醤油です。

 

 おわかりのように、どちらも微生物の力で作られた発酵食品です。麹菌や酵母、乳酸菌の働きによって分解・発酵が進み、様々な成分の絶妙な調和により、独特の色、香り、味が生まれます。これらは菌の種類や塩加減、熟成期間などによって変わりますので、地域によって、お店によって様々な製品ができるのも納得ですね。

 

 

 ●味噌と醤油の歴史

 「味噌」いう言葉が初めて書物に表れたのは平安時代。当時は貴族や高級官僚など、位の高い人が食す贅沢品だったようです。鎌倉時代に禅僧が中国から味噌の製法を伝えます。味噌から分離した液体が「溜醤油」の始まりと言われています。

 

 室町時代になると大豆の生産量が増え、味噌は保存食として庶民にも普及し、醤油作りも盛んになりました。

 戦国時代では、味噌は戦国武将にも重宝されました。兵に支給される食糧を「兵糧(ひょうろう)」と呼びますが、その兵糧の食材として、貴重なたんぱく源であり保存性の高い味噌はなくてはならいものでした。大豆に含まれる植物性のたんぱく質は兵士の体調管理には欠かせないものです。日本人は長らく動物性のたんぱく質の摂取を控えていた時期もありますので、その意味でも、とても貴重な栄養源と言えます。

 その為、戦国武将の各々がこだわりの味噌を、必ず戦場に持参したとも言われています。

 

 武田信玄は「信州味噌」、豊臣秀吉、徳川家康は「豆味噌」、伊達政宗は「仙台味噌」というように、武将たちは各地で味噌づくりを進めていたのです。江戸時代になると味噌や醤油を使った料理も登場し、江戸の食文化に大いに貢献しました。

 

 味噌と醤油は、自然と科学の力で古くから私たち日本人の食を支え、時代が進み、技術の発展ともに製法が改良されながら、今日まで伝わった食品といえるでしょう。

 

 大豆には植物性のたんぱく質が多く含まれています。日本人は長らく動物性のたんぱく質の摂取を控えていた時期もありますので、とても貴重な栄養源と言えます。また、発酵食品の健康に対する効果は、現代では常識となっています。

  

 必要な栄養素や、塩分を効率的に摂取でき、調理のしやすさも重宝された点でした。

 

 武士にとっても重要な味噌と醤油は、まさに日本の伝統的な食材と呼ぶにふさわしいものです。


伝統的麺料理 蕎麦の魅力

蕎麦は現代でも愛される麺料理の一つです。

うどんと並び、日本を代表する麺料理と言えるでしょう。

 

蕎麦は日本の食文化を語る上では避けては通れない重要なものです。

 

日本を代表する麺料理である蕎麦の歴史をひも解いていきましょう。

 

蕎麦の歴史は古く、およそ1万年前から、日本において蕎麦は食されていたと考えられています。

 

高知県土佐市の約1万年近く前の地層から、蕎麦の花粉が発見されている事がその根拠とされています。

 

また、栽培の歴史については、奈良時代が最も古いと考えられています。

 

その当時の食し方は、団子状に丸めて調理していたと考えられており、現代のわれわれが考えるような麺料理になったのは、ずっと後の時代からです。

 

麺料理としての蕎麦の発祥地は、長野県木曽郡大桑村にある常勝寺と言われています。

 

 

●寺方蕎麦と門前蕎麦

 

「寺方蕎麦」

寺院における僧侶たちの精進料理。

 

「門前蕎麦」

 

寺院の門前町に店を構える蕎麦屋の蕎麦。主に寺院の参拝客などに振舞っていた。

 

蕎麦は寺における精進料理としての側面から発達した食文化であると言えます。

その当時の寺は、情報の最先端を行く存在でした。

 

福岡県にある承天寺では、中国から石臼や水車をつかった製粉技術を持ち帰った聖一国師が開いた寺として「饂飩蕎麦発祥之地」という石碑が建てられています。

 

この様に、麺類としての蕎麦食文化は、仏教の不殺生戒と相まって、寺院における精進料理として花開きました。当然蕎麦を打つのは僧侶です。

 

蕎麦はその当時、精進料理としてだけではなく、振る舞い料理としての側面もありました。

 

一般に麺料理としての蕎麦が広まったのは江戸時代初期と言われています。

 

茹でた蕎麦を蒸籠に盛る「もり蕎麦」から、

蕎麦に汁をかけて提供する「ぶっかけ」

ざるに持って出す「ざる蕎麦」等へ変化していきました。

 

江戸中期の万延元年(1860年)には、江戸の市中に位は4000軒を超える蕎麦屋が存在したとの記録があります。まさに江戸っ子に愛された味と言えるでしょう。気軽にさっと食べられる蕎麦は、粋を好む江戸っ子にとってぴったりの食べ物でした。

 

ちなみに当時の標準的な蕎麦は、現代の貨幣価値で400円程度の、食べやすい価格であった事も、流行の一因であると思われます。

 

 

●蕎麦の身・粉の分類

 

玄蕎麦・・殻が付いた状態の、収穫したての蕎麦。蕎麦独特の黒っぽい色合い。

 

丸抜き・・外の殻をむいた状態。丸抜きを石うすで挽くと「挽きぐるみ」と呼ばれる。

 

御前粉・・蕎麦の身の中心にある胚乳部の身を石うすで挽いた真っ白で美しい粉。

 

 

●蕎麦の分類

 

二八蕎麦・・蕎麦粉八割につなぎの小麦粉を二割配合して打たれた蕎麦。のど越しが良く、風味も豊。

 

十割蕎麦・・蕎麦粉のみで打たれた蕎麦。打つ際に湯でつなぐ場合もある。コシが強く、香りも強い。

 

田舎蕎麦・・玄蕎麦を荒く石うすで挽き、蕎麦粉の中に蕎麦の身の殻を適量混ぜ込み、非常に香りの強い蕎麦。十割蕎麦である事が多い。

 

※上記は代表的な分類法で、例外もある。

 

●行事毎に食される蕎麦

 

「年越し蕎麦」

現代でもよく知られる風習の一つで、大晦日、年越しの夜に食す事が一般的になりました。

 

「引っ越し蕎麦」

おそばに末永く、という江戸っ子の洒落っ気から出た風習であると言われています。本来は自分たちで食すのではなく、近隣に蕎麦を配る風習ですが、現代では引っ越した当人たちが、出前などで手間のかからない食事として食す場合も見受けられます。

 

「雛蕎麦」

3月3日の節句に当たり、ひな壇へ供えられた蕎麦の事。現代ではあまり見られなくなったか。

 

 

●庶民だけではない。大名や武士も愛した蕎麦

 

蕎麦の流行は、何も庶民のものだけではありませんでした。

大名や武士もまた、その魅力にどっぷりとハマっていたのです。

 

大名たちは特に、更科(さらしな)蕎麦と呼ばれる、蕎麦のみの中心にある御前粉という真っ白なから打たれた蕎麦を好みました。

 

蕎麦を好んだ大名の好例として、徳川御三家である水戸徳川家の水戸光圀がいます。

日常的に食していたことが「日乗上人日記」に記されていますし、客人をもてなす際には自ら蕎麦を打ったとも伝えられています。

 

蕎麦は、庶民から大名にまで愛された、特別な麺料理であると言えるのです。

 

●作物としての蕎麦

 

蕎麦の栽培が奈良時代に遡る事は前述しました。

ここでは、作物としての蕎麦の特徴をご説明します。

 

「蕎麦の自慢はお里が知れる」

 

こんなことわざがあります。

蕎麦作りに最適な土地は、逆に稲作には向かないので、蕎麦自慢は、自慢にならないという言葉です。

 

蕎麦の栽培に適した土地柄を「霧下」と言い、その様な土地で栽培された蕎麦を「霧下蕎麦」と呼ぶ事があります。

その言葉からも分かるように、蕎麦は日当たりが良く水はけがよい土地で良く育ちます。そして、霧が立ち込めるような土地であれば、霧が寒さから蕎麦を保護してくれます。また、湿度が高ければ、花の蜜の出も良くなります。それ故に「霧下蕎麦」なのです。

 

蕎麦の産地として有名なのは、

  • 北海道
  • 秋田県
  • 福島県
  • 長野県
  • 新潟県
  • 鹿児島県

等が挙げられます。比較的寒冷地が多く見受けられますが、日本における蕎麦の発祥地は、対馬であると言われています。中国南部から朝鮮半島を経て、対馬に伝来しました。

 

●健康食品としての蕎麦

 

近年では、蕎麦は非常に優秀な健康食品である点にも注目が集まっています。

 

人体にとって重要な必須アミノ酸の一つである「リジン」を豊富に含み、消化に良いタンパク質である「アルブミン」も含みます。

また、近年最も注目されているのは、生活習慣病の一つ、高血圧に効果を発揮する「ルチン」を含む事も大きな特徴の一つです。

 

伝統的な食品であるだけではなく、健康食品としても、蕎麦は大変興味深い食文化であると言えます。


医食同源と精進料理

医食同源は、日々の食べるもので健康な体を作ろうとする試みを表す言葉で、もともと中国の薬食同源の思想から生まれた造語であると考えられています。

 

食を人生の最重要課題と言う人もいる位に、日本人にとって、その関心は高いものであると言えます。

 

そんな中、医食同源は、現代の我々にとっても食事の重要さを再確認させてくれます。

 

食事には、嗜好だけではなく、体調管理の一環としての人生の基盤であるという意味合いが確かにあるのです。

 

現代においても、健康は多くの方にとって関心の高い事柄ですし、健康を補助する商品やサービスも豊富にそろっています。

 

ですが、健康の為に最も重要な事柄は「何を、どの様に、どの程度食べるのか」であると言えます。

 

そんな日本人にとっての食事そのものについて考えていきたいと思います。

 

 

●初物は寿命が延びる?薬食いとは?

 

江戸の人々にとっても、食事は重要な要素であったと言えます。

その事は「初物七十五日」という言葉からも伺えます。

これは、季節の初物を食べると、寿命が七十五日延びるという解釈です。

食事によって寿命が延びるのですから、医食同源の最たる考えとも言えますね。

もちろん、この話自体に科学的根拠はありませんが、それでも本能的に、食事と健康の密接な関係について理解していたように思えます。

 

また、「薬食い」という言葉があります。

過去の日本にとって、四つ足の動物の肉を食べる事が禁忌として扱われていた時代がある事はご存知の方も多いと思います。

ですが、薬食いは正しく猪や牛などの獣の肉を食す事を言います。これらは滋養を付けるためのという名目で一部行われていたのです。これもまさしく医食同源の考えから出た実例と言えるのではないでしょうか。

 

 

●精進料理のすすめ

 

日本には仏教の不殺生戒(ふせっしょうかい)に基づき、肉や魚を用いず、野菜や穀物などで作られた精進料理という物が存在します。

 

精進料理の基礎が出来たのは、鎌倉時代に曹洞宗を開いた道元和尚が、中国の禅寺で学んだ食事法や調理法を伝えた事に始まります。

精進と言う言葉は、サンスクリット語のヴィールヤを和訳したもので、もともとの意味は努力や勇気です。修行に励む禅僧たちの様を的確に表していると言えるのではないでしょうか。

 

なお、不殺生戒はインド発祥の仏教において、釈尊によって定められた戒律の一つです。

 

読んで字の如く、殺生を戒める教えで、狩猟を禁じています。それだけではなく、本来は執着心につながる農作などの行為も同様に禁じられていました。

 

中国に仏教が渡り、座禅修行により実利的な教えを説く禅宗の発展と共に、多くの修行者を抱えるようになると、托鉢(施しを受ける事)で修行者の食事を賄う事は不可能です。その為、重要な修行になるという名目の元、農耕が解禁されました。

そうして、精進料理誕生の礎となったのです。

そんな教えに在っては、あくまで修行という名目での農耕と調理ですから、例えばにおいがきつく、煩悩を掻き立てるとされる一部の野菜(韮、ニンニク、葱等)も、制限されていました。

 

 

●典座料理とは

 

精進料理の事を、典座(てんぞ)料理と呼ぶ場合があります。

典座とは、禅寺で台所を預かる僧の事を言います。禅宗においても重要な修行であり、また寺院の運営においても重要な役割を持ちます。

上記の理由から、精進料理を典座料理と呼ぶ場合があるのです。

 

道元和尚は、南宋の禅寺で受けた教えを元に、後年「典座教訓」という書物を残しています。典座の心構えについて説いているのです。

 

 

●現代の置ける医食同源と精進料理

 

現代を見てみると、様々な食生活のスタイルが存在します。

 

菜食主義などがその一例として挙げられると思いますが、菜食主義の方々にとっても精進料理はとても相性の良い食事であると言えます。

 

質素であっても滋味に富んで、自然の恵みに感謝する気持ちが自ずと生まれる精進料理は、現代の日本人が食生活を見直すきっかけと成り得る存在です。

 

現代においては、栄養豊富な様々な食品が存在しますが、逆にそれらの栄養を摂りすぎてしまったり、極端に偏ってしまう事があります。

そんな中、必要な栄養素をバランスよく摂取する事が、現代人にとっての健康な生活を送る一助となる事は間違いありません。

 

現代においても、精進料理は特定の寺院で食する事が出来ます。

 

 

●精進料理におけるもどき料理

 

肉や魚の食事が禁止され手はいても、それらはやはり魅力的な食材である事には変わりありません。そんな食材を模して作られたのが「もどき料理」です。

これらは肉魚の代わりに、精進料理において一般的な食材を代用して作られているため、戒律に反することなく美味を味わう事が出来ました。

 

例えば、刺身こんにゃくやがんもどきがその一例です。

刺身こんにゃくは、鮮魚の刺身のもどき料理です。

がんもどきは雁(鳥類)のもどき料理です。当時鳥類を食する事に関しては寛容でした。修行中でも美味しいものは食べたいという人情が、やはりあったのかもしれませんね。

 

日本の精進料理の発想と、医食同源の発想を併せた食の知識を兼ね備えて、日々を健康に過ごす為の食事をご提案していきたいと思います。

 

本来精進料理は、大変な手間暇をかけて調理するものが多く、それ故に他では得難い滋味を味わう事が出来るのですが、弊協会の提案する「和文協流精進料理」は、気軽に作れる健康的な食生活のご提案を行います。

 

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