取材日:令和2年2月14日(金)

取材者:埴原有希士

 

 今回は、京都きものファッション協会会長の三宅てる乃さんとの対談です。対談記事の前に、まずは三宅先生のプロフィールをご紹介したいと思います。

 

【京都きものファッション協会会長 三宅てる乃先生のプロフィール】

 和素材と着付けの調和を研究し、体型補正との関連による着付け技術を科学的に分析。現代女性に合わせた着付けを創案し、 メディアや舞台等でタレントの着付けや構成・プロデュースを数多く手がける。

 外務省の要請により、毎年海外で着物の伝統や文化の交流をはかり、広く紹介に努め内外から高い評価を受ける。 各界における講演や社員教育を務め、平成4年には外務大臣表彰を受ける。

 

 過去の活動ばかりでなく、長年着付けの研究と普及に尽力され、今も精力的にご活躍される三宅先生との対談は、和装や着付けに関する意外なお話などもあり、とっても楽しく、本当に時間が経つのを忘れるほどでした。

 

 

思ったより心地良い陽気のこの日、日本橋に降り立ちました。待ち合わせの場所は三越です。早く着したので三越をぶらり。

 

季節的に催事場ではチョコレートのイベントがやっていました。

 

無類のチョコレート好きの私としては、我慢が出来ずついつい帝国ホテルのチョコレートを購入。

晩酌の楽しみが出来ました。

また、こんなイベントも拝見。

 

文化人で、食通としても名高い魯山人の企画展示です。

 

「和の美を問う」

 

とはまさに当協会の活動趣旨とも合致。

これは拝見せねばと観覧しました。

 

食通らしく、器の展示が多かったと思います。

その他、書画の展示などもありました。

 

ご存命であれば一度お話お伺いしたかったですね。

 

そうこうしている内に待ち合わせの時間に、合流して喫茶店で対談開始です。

 

埴原:本日はお忙しい所、お時間頂戴しましてありがとうございます。よろしくお願いします。

 

三宅さん:よろしくお願いします。もっと年配の方かと思っていました。お若いですね。

 

埴原:よく言われるのですが実年齢よりも若く見られることが多いです。実際は35歳ですから、、そこそこです(笑)

 

三宅さん:それでもお若いですよ。武道をやってらっしゃるんですって。稽古できもの着てやるんですか。

 

埴原:はい、そうです。プロの方を前にして、着れると言い切るのも恥ずかしい所ですが。

 

三宅さん:そんな事気にしなくていいんですよ。目的に合った着こなしが大事なんですから。

 

埴原:ありがとうございます。

私の勝手なイメージですが、着付けのや和装の世界のプロは、色々と硬い方が多いイメージがあります。

 

三宅さん:実際にその様な専門家はとても多いですよ。私はその様な発信側に問題があると思っています。

 

埴原:私は、武道の修行の為にきものを着ますが、女性の場合は結構和装のハードルが高いように感じています。普段着感覚で、近くのコンビニに行くにしてもきっちりとした着方をしないといけないような圧力と言うか、、。

 

三宅さん:女性の着付けも本当はとっても簡単なんですよ。それに普段使いでも、正装でも、基本的に着付けの仕方は変わりません。発信側が難しく見せている事も問題の一つだと思います。

 

埴原:なるほど、確かに私もそう感じます。

 

三宅さん:私は、きものや文化の素晴らしさを多くの人にお伝えしたいと考えてきました。

その一つに着付けのプロセスを歌詞に落とし込んだレコードを出したことがあるんです。これを聞いて練習すれば、誰でもきものがきちんと着れる様になります。

 

埴原:レコードで着付けとはとても斬新ですね!

 

三宅さん:そんな発信側の工夫がすごく大事だと思います。

着付けはある意味リズムなんですよ。途中であれこれ考えるから、崩れてしまう。リズミカルに着る事が大事です。そんな時、音楽で発信する方法を思いついたんです。

 

埴原:非常に面白い取り組みですね。リズムが大事と言う点はとても分かります。あくまで衣服ですから、するするっと着るのが大事ですよね。

 

三宅さん:音楽の良さは他にもあります。万国共通だという事です。もちろん、翻訳はしないといけないけど、音楽とリズムで伝える事で、どんな国の方でも、きものが着られるはずだという考えがあったんです。

 

埴原:とても理に適っていますね。見習いたい手法です。ですが翻訳は苦労されませんでしたか。武道もそうですが、独特の表現など多く、翻訳が難しいと言われます。

 

三宅さん:はい、まさしくその問題はありました。

当時知人の翻訳家に相談したら、着付けに関する専門用語が多くて、翻訳は無理だよと言われました。

ですが、私はとっても負けず嫌いな性格なので(笑)

無理と言われると、どうにかしてやろうと。そしたら、当時フランス語のレッスンを受けていましたので、そうだその先生に聞いてみようと。

 

埴原:逆境こそ燃えるタイプですね(笑)

フランスは、歴史を重視するお国柄もありますし、日本文化への興味関心が高い方も多いようですから、ちょうど良かったのかもしれませんね。

※甲州流柔術もフランスの国営放送「France24」の取材を受けました。

 

三宅さん:そしたらその先生が、歌詞をにこにこしながら見なさって、3日あれば出来ますよって。

 

埴原:すごく早いですね。渡りに船でしたね。

 

三宅さん:先生のお付き合いしていた方が日本人の女性だったので、協力して作り上げたようです。

準備は整ってさて実践。後日パリで行われたきものショーをプロデュースする機会があったのですが、実際にレコードで着てもらおうと。

3人のフランス人女性がモデルでしたが、フランス時間と言うか、ギリギリに会場入り。もうほんとにぶっつけ本番になりました。きちんと着れる確証も実はなかったので、ある意味賭けでしたよ(笑)

でもね、3人ともきちんと着付けが出来たんですよ!

 

埴原:それは凄いですね!日本人ではなく、フランス人にまで伝わるのは本当にすごい事だと思います。

 

三宅さん:リズムがあったから、着れたんだと思います。

その体験から、私はどんな事にも、不可能なんてないと思うようになりました。

とことん努力して、試して、直して。その繰り返しなんだと。

 

埴原:私も、試しと改善は重視しています。それこそ修行の道かと。

 

三宅さん:日系三世の娘さんのきもの姿に涙を流して喜ぶ母親の姿を見た時に、私もとても胸が熱くなりました。本当に良い経験でした。

 

埴原:音楽の力は絶大ですね。なかなか出来ない経験だと思います。

 

三宅さん:音楽で、楽しんで着付けをしてもらうのが理想です。ただ、当時のレコードだと少し協調なんかも古いので、HIPHOP調のアレンジを検討しています。

 

埴原:HIPHOPとの融合は凄いですね(笑)

ですがそうの様な時代に合わせた発信はすごく大事だと考えています。なかなかそういう柔軟性を持ち合わせたプロが少ない業界でもありますよね。

 

三宅さん:本当にそうで、発信側のスタンスにも問題がありますね。

例えば大きな着付け学校でも、形ばっかり教える事もあります。それはどんな意味があるのかしら、と聞くと、「分かりません。こう習ったので。」となってしまう。また、着付けに必要な道具を売りたい為に、それが無いと着付けが出来ないかのように教えてしまう事もあります。ビジネスですから、ある程度は理解できますけど、そればっかりではだめだなと。

 

埴原:良く分かります。やはりそういう発信の仕方も多く見受けられます。

 

三宅さん:当時の京都も、ほんとにそんな感じでした。もうよそはよそで、自分は自分の道を行こうと。

うちにいらっしゃる生徒さんは、大体がよそで学んできた方なのですが、そういう弊害はかなり感じました。

 

埴原:本場の京都でもそんな状況だったんですね。その頃から、更なるご活躍が始まるんですね。

 

三宅さん:いろんなお仕事をさせて頂きました。

有る時には、芸能界の関係の方から、正月のグラビアでタレントの女の子に京都で作ったきものを着せたいと話がありました。100万円位のものを10着急ぎで作りたいと。そんな注文の仕方ってないもんですから、無理ですよと。ですけどなかなかしつこくて(笑)

どうしても京都の着物でないと!と言われるので、京都の人間には殺し文句ですね。最後には、協力しようと。

 

埴原:芸能界も華々しい世界ですからね。特に当時は今よりももっと勢いもあったんでしょうね。

 

三宅さん:無事にきものが完成したと思ったら今度は別な問題が。電話がかかってきたんですが、すぐに東京に来てくれと。訳を尋ねたら、きものは良いのに着付けがひどくて撮影にならないと。大手さんの着付けでったみたいですが、若手だったらしく、タレントは怒るはで酷いありさまと。

もう仕方ないんで、着付けに行きました。

 

埴原:なんだかいろんな勢いがすごいですね(笑)

 

三宅さん:そのお礼なのか、明星という雑誌の特集ページのお仕事を頂き、その時に私が初めて山口百恵さんに着付けをしたんです。※上の写真はその時の様子。桜田淳子さんも写っています。

百恵さんとはその時から親交が深まりました。芸能界の方も色々と着付けをしましたが、彼女が一番印象深いですね。過日の50周年パーティーにもメッセージとお花を贈ってくれたんです。

ご縁と言う名のつながりは、まさしく糸のような物だと感じます。私も見えない糸で着物と繋がっているように感じます。また、いろんなご縁で活動してこれたので、これからは周りの方にご恩をお返ししていきたいなと考えています。

 

埴原:なるほど、今なお精力的にご活動されているのは、そういったお考えもあるんですね。

芸能界のお仕事は、華やかな反面やはり大変そうなイメージもあります。ご苦労もありましたか。

 

三宅さん:そうですね。有名な演出家さんの元、ショーの着付けのお仕事をしたことがありました。そこで、舞台袖で3分で着付けしろと言われたんです。履物脱がすだけでも3分かかるのに、何言ってるんだと思いました。無理だと言ったら、「プロならできるだろ」とガツンと言われたんです。

そしたら負けず嫌いな性格ですから「着せたらいいんでしょ!」と言い返していたんです(笑)

そうして何とかショーは成功して、最後には演出家の方が「このショーは三宅さんが居なかったら実現できなかった」とまで言ってくれたんです。本当に嬉しかったですし、同時にこの業界にはお金をもらって仕事が出来るプロがいないなと感じました。

 

埴原:当時はそんな状況だったんですね。

 

三宅さん:そこから、和装スタイリストというプロの育成事業に力を入れています。そういった活動が認められて、講演なども呼んでいただく機会が増えました。

 

埴原:講演に関して面白いエピソードはありますか。

 

三宅さん:業界団体が集まる講演会で、一時流行った大正ロマン的な暗めの色調のきものについて質問を受けた事がありました。流行りに乗って、それらのきもの専門にやっていきたいが、どう思いますかと。私ははっきり、このブームは3年でダメになりますよと伝えました。皆さん理由を聞きたがりましたが、3年後にお話しする機会を頂ければご説明しますと。

 

埴原:それは非常に興味深いお話ですね。確かに一時の流行りでありましたね。

 

三宅さん:誤解無いように言うと、そういうきものも、もちろん良いものなんですよ。

そうして、3年後にまたお声が掛かりました。その時に理由はきちんとご説明しました。

洋服にも、スーツやゴルフ着や散歩用の服で異なるように、TPOに合わせてコーディネートするものです。これはきものだって同じなんです。古典をないがしろにして、大正ロマン的なきものだけを前面に押し出したのでは、一時のブームにしかならないと。まさしくその通りになりました。

 

埴原:本当にそうですよね。同じ衣服として考えれば、TPOでコーディネートするのは当たり前です。業界の方々にも良い薬になったでしょうね。

話は変わりまして、三宅先生は、海外でもかなり精力的に活躍されていますが、その辺のお話もぜひ。

 

三宅さん:特に印象的なのは、ベルギー・ヨーロッパ文化芸術の祭典「ユーロパリア’89 JAPAN」で着物部門の総合プロデュースを担当した事ですね。日本は経済大国として成長していましたから、経済の陰に隠れた文化を発信してほしいと、各国の強い要請がありました。

ベルギーの凄い所は、国から教育機関などに一斉に通達をして、観覧を推奨した所です。

子供たちが沢山見に来てくれました、ある時、子供たちにサインを求められtのですが、最初は気を使ってローマ字で書いてました。でもあまりに人数が多いので、漢字でいいやと。そしたら最初にアルファベットで書いた子供たちが怒り出してしまって(笑)

 

埴原:それはユニークで印象深い思い出ですね(笑)

子供たちに興味を持ってもらえるのは嬉しいですね!

 

三宅さん:本当に良い思い出です。

他には文化大革命の終わり、中国での話です。女性はパーマをかけてもいいよ。人民服以外の衣服を着てもいいよと言う時代になった時に、服飾については真っ二つに割れたっそうです。伝統的な衣装に回帰すべきという考えと、先進的な服装にするべきと言う考え方です。

当時の日本は、洋服も着るけど、若い子たちでも浴衣を着るなど、自然に両立させていました。その理由が知りたかったそうなんです。

講演のさなか、「私は本日きものの故郷にまいりました。きものは「呉服」とも言って、古代中国の呉が故郷です。」とお伝えすると、盛大な拍手が起きました。

その後、色々と質問を受けたんですが、いま日本では若い方にどんな服が流行っていますかと聞かれて、当時はボロボロなロックみたいな服が流行っていたので、説明に困りました(笑)

 

埴原:それは良い話と面白い話のある、ユニークなエピソードですね(笑)

着物のルーツも知る事が出来る、素敵なエピソードでもあります。

戦後をターニングポイントに、日本の伝統が途切れてしまう様な危機感を感じる事はあります。日本には独自の優れた文化があるので、それを多くの若い方にも知っていただきたいですね。

武士にまつわる言葉なんかも面白いですよ。

「手の内を明かす」「反りが合わない」なども刀からきている言葉です。

 

※剣の手の内をお見せする

 

三宅さん:手の形が、私が教えている帯を締める形と一緒だわ。そうすると帯がきつく締まりすぎなくてちょうど良いの。不思議な共通点もありますね。

 

埴原:驚きました。同じ日本の文化。通じるところがあるんですね。

今後もぜひ一緒に活動させてください。

 

三宅さん:もちろん喜んで。私にできる事なら、協力しますよ。

 

埴原:その際はぜひよろしくお願いします。

本日は長いお時間ありがとうございました。

 

三宅さん:楽しかったです。ありがとうございました。

 

 

<対談の感想>

長年業界をリードしてきた功労者である三宅先生のお話は、面白いエピソード満載で、今までのご実績の凄さを実感しました。

若輩とはいえ、私も見習い精進しようと気持ちを新たに。

きものの今を知る事が出来る大変面白い対談になりました。