Vol.7 中庸の事

 中庸という言葉をご存知でしょうか。おそらく聞き慣れない言葉だと思います。

 中庸を現代風に表現するなら、バランスです。特に心のバランスの事を言います。中庸とは、一つのものに固執したり、思い込みや偏見を持たずに、曇りない目で物事を見る事が出来る状態です。

 

 これには耳が痛い。そんな風に感じる方もいるのではないでしょうか。人は、経験を積んだり、社会的地位が向上すると、素直に他人の言葉に耳を傾けられなくなる場合があります。

 例えば、部下の提案を例にしてみましょう。普段その部下を低く評価している場合、本当は有効な提案であっても、初めからつまらないものと決めつけて、損をしてしまうようなものです。

 

 これは中庸ではない証ですね。心の中庸さを欠くと、油断、慢心、固執、決めつけなど、多くの良くない心の働きに支配されてしまいます。そうなると、まともな判断や決断も出来ませんし、実は他人からも軽んじられることになるのです。

 

 例えば、あなたの周りには、頑固で他人のアドバイスを一切聞かない、そして知りもしない事を決めつけで批判してくる。こんな救いようもない方はいませんか。そんな人、好きになる人は皆無だと思います。

 

 中庸さを欠けば、自分では優越感に浸り、他人を軽んじているつもりでも、実態として周りの多くの人に軽んじられる結果になるのです。これだけではありません。中庸さを欠いた時のもう一つのデメリットが、盲信です。

 

 あなたの周りには、この人には敵わないすごい人がいるかもしれません。その出会い自体はとても大切ですし、ありがたい事です。ですが、もしあなたがその人の凄さに飲まれて、その人が言う事ならすべて間違いない、と盲目的に信じてしまうと話は別です。

 

 人間誰しも完ぺきではありません。間違う事もあれば、苦手な事だって当然あります。何から何まで間違いないと、盲目的に信じる事は、考える事を止めた思考停止の状態に等しいのです。

 これでは、本当の意味での成長はなくなってしまいます。物事を自分なりに解釈し、悩み、改良する。その過程を経て、人は成長するのです。正しい成長の為にも、中庸な心持は必要不可欠なのです。

 

 武士道における中庸のコツは、自分自身の軸を鍛える事にあります。風見鶏の様に、人の意見や助言に常に左右されて、あっちにフラフラ、こっちにフラフラでは、何も成果は出せません。まずしっかりと自分の軸を設けて、自分自身の価値観を確立します。そうして、本当に役立つアドバイスなのか、本当に自分の為を思ってアドバイスしてくれているのか。そんな眼を養うのです。

 

 つまり、自分の軸を鍛え、平坦な心持で相手を見渡せば、自ずと聞くべきアドバイスかそうでないのかも見抜けるという事です。この平坦でぶれない心持を「明鏡止水」と表現します。

 揺らぎの無い水面に顔を覗けば、その水面に綺麗に自分の姿が反射します。もし水面が揺らいでいれば、自分の姿は正しく映りはしないでしょう。

 

 この揺れない、ぶれないという事も、中庸の一つです。

 真ん中にいて、揺るがず、ぶれず、居付かず。そんな心持が求められます。

 

 その為、武士道においては自分の軸を整えるのです。

 私の教える古武術においては、この軸を「シン」と表現します。その内容を深く学びたい方は、別途学びの機会を求めてください。

 

 武士道における中庸は、まさしくその中核にある大事な教えなのです。