気付けば武術指導をはじめて8年は経ちます。
紆余曲折、様々な試行錯誤を通して今日この日まで熱意を持って続けてこれたことは、相応に誇らしく思います。
なぜ誇らしいのかは、ひとえに求めてくれる門人の皆様が居てくれるからです。
どんなに技を磨いても、どれだけ実用性が高くても、誰からも必要とされないのでは、大変悲しいことです。
人は他者と繋がって生きています。この繋がりを断ち切ること、否定することはできません。そうであるからこそ「求められる」という事に喜びを感じるのです。
私は「武術指導」をライフワークと捉えています。崩して言えば趣味と言い換えても良いでしょう。
突然ですがあなたは趣味をお持ちですか。
最近周りの方から、「自分は無趣味である」という言葉をよく耳にします。
実は趣味があるが、恥ずかしくて言わないだけ。こういった場合は良いと思います。
秘密の趣味や、発展途上であれば誰彼言いふらさないということはあると思います。
しかしどうも本当に「無趣味」な方が増えているような印象も受けます。
現代はとにかくただ生きるだけでも「多忙」であります。
毎日仕事に明け暮れ「精神的余裕」が持てない。
情報も、知識も、手元のスマホ一つでお気軽に得られるため今ひとつ「興味」が持てない。得てして手軽に得たものに、人は価値を見出さないものです。
話は変わりますが、近年「AI」の発展が目覚しいですね。
仕事も多くのものがAIでまかなえるようになる、など聞きます。
大変良いことだと思います。生産性の無い仕事や、危険な仕事などは、AIや任せてしまった方が良いでしょう。
この話を考える時に、よく話題に登るのが「AIに出来ないことは何か」という問いです。
「AIに出来ることは何か」ではなく、人間にしか出来ないことは何かというベクトルですから、既にAIがどれだけ発展し、可能性を秘めているのかを証明していますね。
すこし現代的なとんち問題のように扱われていますが、私は答えはシンプルだと思います。AIに出来ないのは、生身を使った全ての事です。
人は人である以上生身の身体を持ちます。
例えば工芸職人はどうでしょう。作りの精巧さを売りにしている場合もありますが、大抵はその職人毎の「味」と呼ばれる個性を売りにしています。
これはいづれ機械も真似を出来るようになるかもしれません。もしかしたら既にあるかもしれません。
しかしそれはあくまで機械が「真似て作った模造品・工業製品」でしかありません。仕上がりがどれだけ優れていようとも、です。
一方職人が手で作ったものは、唯一無二の芸術品です。
つまりこれからは身体を使った技を身につける。
これからの時代、この重要性がますます上がります。
話を戻しますが、我々は人である以上は、生きていますし生きていかねばなりません。
どうせ生きるなら、日々の活力に溢れた、充実した人生を送りたいと誰もが考えると思います。
AIは文句も言わず黙々と仕事を続けられるでしょう。
人生の潤いなんて必要ありません。潤滑油の潤いは必要かもしれませんが。
人にとって人生の潤滑油は「趣味」だと思います。
そして人生を豊かにする趣味は「身体を使った技術=AIが出来ない分野」に可能性が大いに秘められていると思います。
私は武術はそうした可能性を十分に持った、素晴らしい趣味になり得ると確信しています。
もし本当に無趣味であるなら、ぜひ一度物は試しと取り組んでみてください。
私の言っていることが理解していただけると思います。
埴原
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