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平等という無配慮

最近ではとかく「平等」である事が持て囃されます。

 

武道においても、誰もが同じように稽古すれば、稽古しただけ同じように強くなれる、と説く流派もあります。

 

しかしこれは少々現実に即していないと考えます。

 

同じ修練時間であれば、結局体格に優れたものが勝つでしょう。

 

抜きん出た才能があればそれを覆すこともありますが、結局才能も平等ではありません。

 

人はそもそも平等ではないのが前提です。

 

体格、性格、家柄、育ち、思考、財力、健康、趣味、、、等幾らでも違いは挙げられます。

 

人は異なる。有利、不利が厳然として存在する。これは押さえておかねばならない「事実」です。

 

 

人は生まれながらに価値がある。命は全て尊いものだとする考えもあります。

 

これも実は少し違うと解釈しています。

 

逆に人の命はすべからく「無意味」と捉えます。

 

注意していただきたいのは「無価値」とは異なるということです。

 

意味を持って生まれてきたのでは、総理大臣はそうなるべく生まれてきたことになります。浮浪者も同様に、そうなるべくして生まれてきたことになります。

 

実は、人の生まれながらの価値や意味を問うと、結局不平等に行き着くのです。

 

すべての命は「無意味」の状態で生まれてきたからこそ、自由で尊く価値がある。

 

人生の上で、修練で、努力で何者にもなれる可能性があるのです。

 

少し風呂敷を広げすぎましたが、私は当流の稽古を通して、その可能性のきっかけを掴んでいただければ幸せと考えております。

 

 

東京 新宿 古武術・古武道・剣術等の武器術を学べる道場「甲州流柔術」

師範 埴原有希士