古武術と格闘技は異なるものだ。そのような認識をお持ちの方は多いでしょう。
しかし、どこが?と聞かれれば大抵の方には答えようもありませんね。
両者の明確な違いについて解説します。(あくまで当流のお話です)
●成り立ちや目的が違う
古武術は古いと書くだけに、日本古来の術です。合戦等で殺傷を目的とした術技であるため、技や動きもその様なものが現存します。
格闘技は、スポーツとしての立ち位置もあります。競技として技を競う事が出来ます。その過程で相手を殺傷することは忌避する傾向があります。
●目指すものが違う
古武術は所謂合戦の技術であれば、長年修行して準備万端に持ち込むことは難しいです。意外かもしれませんが、古武術はある程度即効性のある鍛錬や技術も求められます。つまり日夜身体を鍛錬し、鋼の肉体を作り上げ、自身をひたすらに高めていく事は難しいのです。(入門して3日後には合戦が起こるかもしれません。その時ビギナーだからと出兵は拒否できません)その為、自身の持ち味を活かす様な立ち回り、心構えなども重視します。また足りない部分は工夫で補います。そう言った意味で、古武術は「自身との対話」でもあるわけです。内向きへの対話、相手という他者との対話。相反するものを併せ持つ性質もあります。その為「中庸」という調和を重視します。バランスですね。このような考え方は、何も争いに限らず、生きる上でも役に立つことは多いと思います。このような思想こそ、格闘技との大きな、明確な違いかもしれません。
●古武術の要点は、今の自分を活かしきる
格闘技は現状の自分を超えるよう、様々なトレーニングにより身体能力の向上を図ります。身体能力は個人差の大きい部分です。また、どう頑張っても差が埋まりにくいものでもあります。更に言えば、訓練を始める時期も重要です。老齢から初めては効果は実感しにくいことが多いでしょう。
古武術はスポーツでも競技でもありません。一生続くものです。極端な例ですが、足が動かないから、片手がないから、片目が潰れたから、出来なくなるものではなく、またそれにより何かしらのハンデをもらえるという世界でもありません。出来る、出来ないではなく、現状の自分を把握し受け入れ、その上で出来る事を最大限に出来るように鍛錬するものです。
●手段ではなく目的
格闘技はルールがあります。そこに則り競い合いの中で高みを目指します。
古武術は生き残るための、または勤めを果たすための技です。
その違いに気づけば、場合によっては戦う必要すらないのです。
●ルールがない
格闘技は上述のとおり明確なルールがあります。それ故そのルールに則り、みな一様に心構えを持つことができます。
古武術にはルールはありません。これをしてはいけない、という決まりがないのです。(こうした方が良い、という先達の知恵はあります)それだけにいかに自身で「考える」かが最も重要です。
自分とは何か。何ができるのか。どうすべきか。何が使えるか。相手はどう動くのか。
頭を使ってよく考える。深く考える事が重要です。それ故年長者の経験や思考が大きく有利に働くことがあるのです。
●生涯楽しみ有意義に稽古を続けられる
悪し様に言う訳ではありませんが、格闘技の場合は大抵引退があり、その前後では取り組み方に大きな違いが出ます。
古武術はその取り組み方は一貫しています。毎年毎年新しい発見と喜びを感じながら生涯鍛錬を続けられます。そのような意味で古武術は生涯学習とも言えるでしょう。
手前味噌の話ですが、それでも私は武術の修練を通して、非常に多くのものを得ました。皆様に何かひとつおすすめするとなれば、やはりこれです。
生涯を楽しみ、自身を鍛え、日々に喜びをもたらす体験を分かち会えれば嬉しく思います。
東京 新宿 古武術・古武道・剣術等の武器術を学べる道場「甲州流柔術」
師範 埴原有希士
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